惡の華

常磐(ときわ)と生きていくため、仲村(なかむら)に会いに行くと決めた春日(かすが)。
海沿いの町で穏やかに暮らす仲村と、春日は3年半ぶりの再会を果たす。
夏祭りの日、あの瞬間まで春日は信じていた。
仲村と二人‘クソムシの海’から抜け出すのだと……。
それは、ずっと春日の心を過去に縛り付けていた疑問。
かつて二人で見た夕焼けと同じ空の下、春日はあの時、自分を突き飛ばした理由を仲村に問いかけるが……!

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コメント

  1. user より:

    青春とは疾風怒濤、吹き荒ぶ風と、猛り狂う波と、
    そして海辺での殴り合いだ。

    それはもう、お決まりのパターンなのだ。

    青年期を「疾風怒涛」と表現したのはアメリカの心理学者G.S.ホールであるが、彼が提唱した学説に「心理的反復説」というものがある。

    個人の発達は生物としての人類が辿った進化の歴史に似た発達段階を繰り返す、というもので、
    要するに文化や時代は違えど結局人は、過去の人が繰り返してきた同じパターンの反復でしか成長していけないんだよ、ということである。

    結局みんなふつうに生きて、ふつうにセックスして、ふつうに死んでいくんだよ。

    それしかできないんだよ。

    それのどこがいけないの?

    物語は永遠に続く繰り返しとして、幕を降ろした。

    これは永遠に終わらない春日青年の思春期の記録であり、
    永遠に繰り返される人類の歴史の一部なのだ。

    …とまで言ったら、言い過ぎか。

  2. user より:

    咀嚼しきれないながらも、読み終えた今の感覚をなにか残しておかないと気が済まない。
    そんな作品だった。

    とくに最終話は、様々に解釈可能なものではあるんだけど、私にとっては、勝手にこういうことだと確信を持ってしまうものだった。

    以下はそんな一読者が勝手に感じた確信と思ってください。

    主人公春日の視点から見た仲村は、ずっと、普通の人とは違う、得体の知れない怪物のようだった。

    だからこそそこに何かこの世の真理のようなものすら投影して、自分が思っても言葉に出来なかった(あるいは自分がもやもやと感じているような気がしながらもうまく言語化すら出来なかった)ことを代弁してくれるように感じた。

    だから、それは春日の目にひどく魅力的に映りながらも、理解を超えたものであった。
    その理解しがたさ、手の届かない感覚はずっと春日を苦しめて、それと同時に、惹き付けた。
    それはやはり、彼にとっての物語では最後までそうだったろうと思う。

    もちろんそれは春日の視点を借りたわたしたち読者にとっても同じことだった。

    最終話は、幻想でも56話のような夢でもなくて、そんな仲村の「あのときの」視点なのだと思った。

    だから、あんなにも理解を超えたものだった、春日を含めて誰に対しても心を開いていないように見えた仲村も、他のすべてが同じ空っぽで蠢くものの中にあって、「あのとき」から春日だけは血の通った人間として、眩しく生々しく感じることが出来ていたんだと思った。

    それは最後の最後で仲村と春日の出会いに意味を与える、読者にさしだされた救いの手のようだった。

  3. user より:

    完結!
    つかえっ完結??!
    かなりいきなりすぎるんだけどぉ~まぁでもよかったよかった
  4. ryo_25さん より:
    思春期

    中学生編の時は自意識をこれでもかってくらい見せられてる感じがしてしんどかった。

    結局仲村さんの事はなかなか理解できなかったけれど、仲村さんの世界がずっと最終話みたいだったとしたら切ないなと思ったし、大人になった中村さんの世界がつまらなくてもあんな風じゃなかったらいいなと思った。

  5. user より:

    もっと劇的な最終回を期待していたが、中村さん以外はそれぞれ普通の幸せを手に入れて行ったようである。
    結局は思春期の不安定な精神世界だけが面白かっただけで、第二部はそれを収束させただけのようだ。
    ただ中村さんだけはさらに冥府魔道をいくのだろうか、しかし物語はリフレインすることで終わってしまった。
    ちょっと期待はずれ。
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