夕凪の街 桜の国 ドラマ化 原作漫画 2023.08.31 昭和30年、ヒロシマを舞台に一人の女性の小さな魂が大きく揺れる。最もか弱き市井の人たちにとって戦争とは何だったのか、原爆とは何だったのか。こうの史代が描く渾身の問題作。 レビューを見る 購入・お申し込みはこちら
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) 大学のとある講義で取り上げられてから、気になっていた作品。 同じように被爆して、命を落とす人がいる一方で、なぜ自分は生き残る側の人間になったのか…と考え出したら、きっと苦しかったろうなと思います。それでも、そこに意味はあったんだと思いたいし、見つけることができたら、少しは救われたような気持ちになれるのかもしれないなと思いました。想像することしかできないけれど。 京ちゃんや七波と凪生のような、被爆二世・三世も、偏見とか、色々と闘うモノが多くて大変なんだろうなと思います。これは今の福島の人たちにとっても、共感するところがあるかもしれませんね。 遠い昔の悲劇のように思えていたけど、それでも本来は、広島と長崎、そして福島のある日本に住むすべての人が背負い、考え続けるべき問題なのかもしれないです。 それにしても、この方の作品はどうしてこう、心に沁みるんでしょう…。 作品全体もそうですが、あとがき(102頁~)もじっくり読み込むと、自分の考えが見えてくる気がします。
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) どう足掻いたってわたしには広島の血が流れている。このことを悲観的に捉えたことは一切ないけどそう見る人だっているよなー。重くも軽くも受け止めてわたしは生きてる、ちゃんと生きてるよ
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) こういうアプローチの仕方もあるんだと。 そのものを描かずに原爆の恐ろしさを描いている。 戦争が終わったからといって終わる問題ではない。 やさしいタッチで描かれるからこそ余計に胸に迫る。 生き残ってしまった後ろめたさ。だけど、意味もなく死ぬのは辛い。「やった、また一人殺せた、とちゃんと喜んでくれとる?」という言葉はずしんとくる。
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) 広島の被爆者を描いた短編漫画。ずっと前から知っていたが、これまで手に取らずにいたものを、Amazonでセールになっていたので購入した。ー 名作だと思う。 被爆者はヒバクシャというスティグマを背負って生きている。「おまえの住む世界はここではないと誰かの声がする」のだ。そして、「桜の国」の章にもあるように、外部の者はそのことに対してあからさまに無遠慮でもあるのだ。 「わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ。 思われたのに生き延びているということ。 そしていちばん怖いのはあれ以来本当にそう思われても仕方がない人間に自分がなってしまったことに自分で時々気づいてしまうことだ。」 ... 圧倒的な暴力の下において、当事者でないものが、そのことを分かったようにいう権利はないのだと言われているような気がする。そういった繊細なバランスの上でこの本の表現は成立しているように思う。 「夕凪の街」の章の最後、生き延びたと思った主人公の皆実が十年後に死んでいくときに語る言葉が重く響く。 「十年経ったけど原爆を落とした人はわたしを見て「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」 人は理不尽な事件に逢った当事者の気持ちを想像することはできるけれども、当事者の気持ちを分かることは当事者になるまでできない、という事実を痛感する。 明白なことは、放射能の危険性ということで、広島と福島とを同列の文脈で語ることは決してしてはならないということだ。 そして、もちろんフクシマが「桜の国」で描かれるようなことがあってはならない、ということだ。
コメント
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)
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忘れてはならない記憶。
それでも一生懸命(時には軽やかに)生きる人々。
もっと何回も読み返したいと思った。
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)
同じように被爆して、命を落とす人がいる一方で、なぜ自分は生き残る側の人間になったのか…と考え出したら、きっと苦しかったろうなと思います。
それでも、そこに意味はあったんだと思いたいし、見つけることができたら、少しは救われたような気持ちになれるのかもしれないなと思いました。
想像することしかできないけれど。
京ちゃんや七波と凪生のような、被爆二世・三世も、偏見とか、色々と闘うモノが多くて大変なんだろうなと思います。
これは今の福島の人たちにとっても、共感するところがあるかもしれませんね。
遠い昔の悲劇のように思えていたけど、それでも本来は、広島と長崎、そして福島のある日本に住むすべての人が背負い、考え続けるべき問題なのかもしれないです。
それにしても、この方の作品はどうしてこう、心に沁みるんでしょう…。
作品全体もそうですが、あとがき(102頁~)もじっくり読み込むと、自分の考えが見えてくる気がします。
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)
このことを悲観的に捉えたことは一切ないけどそう見る人だっているよなー。
重くも軽くも受け止めてわたしは生きてる、ちゃんと生きてるよ
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)
そのものを描かずに原爆の恐ろしさを描いている。
戦争が終わったからといって終わる問題ではない。
やさしいタッチで描かれるからこそ余計に胸に迫る。
生き残ってしまった後ろめたさ。
だけど、意味もなく死ぬのは辛い。
「やった、また一人殺せた、とちゃんと喜んでくれとる?」という言葉はずしんとくる。
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)
ずっと前から知っていたが、これまで手に取らずにいたものを、Amazonでセールになっていたので購入した。
ー 名作だと思う。
被爆者はヒバクシャというスティグマを背負って生きている。
「おまえの住む世界はここではないと誰かの声がする」のだ。
そして、「桜の国」の章にもあるように、外部の者はそのことに対してあからさまに無遠慮でもあるのだ。
「わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ。
思われたのに生き延びているということ。
そしていちばん怖いのはあれ以来本当にそう思われても仕方がない人間に自分がなってしまったことに自分で時々気づいてしまうことだ。
」
... 圧倒的な暴力の下において、当事者でないものが、そのことを分かったようにいう権利はないのだと言われているような気がする。
そういった繊細なバランスの上でこの本の表現は成立しているように思う。
「夕凪の街」の章の最後、生き延びたと思った主人公の皆実が十年後に死んでいくときに語る言葉が重く響く。
「十年経ったけど原爆を落とした人はわたしを見て「やった!
またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」
人は理不尽な事件に逢った当事者の気持ちを想像することはできるけれども、当事者の気持ちを分かることは当事者になるまでできない、という事実を痛感する。
明白なことは、放射能の危険性ということで、広島と福島とを同列の文脈で語ることは決してしてはならないということだ。
そして、もちろんフクシマが「桜の国」で描かれるようなことがあってはならない、ということだ。