夕凪の街 桜の国

昭和30年、ヒロシマを舞台に一人の女性の小さな魂が大きく揺れる。
最もか弱き市井の人たちにとって戦争とは何だったのか、原爆とは何だったのか。
こうの史代が描く渾身の問題作。

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コメント

  1. user より:
    夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

    広島のあの日から10年後、~現代を皆実(みなみ)、七波(ななみ)という女性の目線で描いた物語。
    強烈な主張をしてはいないけれど、心に染み入る 切なく暖かい…。
    皆実や広島の街や人をいとおしく感じます。
  2. user より:
    夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

    広島の被爆者を描いた短編漫画。
    ずっと前から知っていたが、これまで手に取らずにいたものを、Amazonでセールになっていたので購入した。
    ー 名作だと思う。

    被爆者はヒバクシャというスティグマを背負って生きている。
    「おまえの住む世界はここではないと誰かの声がする」のだ。
    そして、「桜の国」の章にもあるように、外部の者はそのことに対してあからさまに無遠慮でもあるのだ。

    「わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ。

    思われたのに生き延びているということ。

    そしていちばん怖いのはあれ以来本当にそう思われても仕方がない人間に自分がなってしまったことに自分で時々気づいてしまうことだ。

    ... 圧倒的な暴力の下において、当事者でないものが、そのことを分かったようにいう権利はないのだと言われているような気がする。
    そういった繊細なバランスの上でこの本の表現は成立しているように思う。

    「夕凪の街」の章の最後、生き延びたと思った主人公の皆実が十年後に死んでいくときに語る言葉が重く響く。

    「十年経ったけど原爆を落とした人はわたしを見て「やった!
    またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」

    人は理不尽な事件に逢った当事者の気持ちを想像することはできるけれども、当事者の気持ちを分かることは当事者になるまでできない、という事実を痛感する。

    明白なことは、放射能の危険性ということで、広島と福島とを同列の文脈で語ることは決してしてはならないということだ。

    そして、もちろんフクシマが「桜の国」で描かれるようなことがあってはならない、ということだ。

  3. user より:
    夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

    こういうアプローチの仕方もあるんだと。

    そのものを描かずに原爆の恐ろしさを描いている。

    戦争が終わったからといって終わる問題ではない。

    やさしいタッチで描かれるからこそ余計に胸に迫る。

    生き残ってしまった後ろめたさ。
    だけど、意味もなく死ぬのは辛い。
    「やった、また一人殺せた、とちゃんと喜んでくれとる?」という言葉はずしんとくる。

  4. user より:
    夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

    原爆の投下を通して、戦争の影が音も立てずにそっと日常生活に入ってくる様を見た。
    声も発しなければノックもしない訪問者の気配を感じながら、これは何が起きているのだろうと、読んでいる最中も読み終わった後もずっと考えていた。

    反戦を声高に叫ぶより、平和の尊さを吹聴してまわるより、政治性やイデオロギーを漂白して、戦争のもつ暗い影を何気ない日常のとなりにそっと位置づける。

    多くの人々から支持を得るのはこういう理由だと思った。

  5. user より:
    夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

    昔友達の家で読んだ事がある漫画、と思われるんだけど、私がその友達と遊んでいた時代にこの本は発行されてない筈なんだよね…
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