
呉市に嫁いだすずは、不器用ながら北條家に溶け込み日々を過ごしてきた。
だが、やがて戦争の匂いがすずの暮らす街を色濃く染めていく。
空襲、原爆、終戦。
戦争が一人の女性の小さな世界を歪ませていく。
ページを捲る手が震える、魂の最終巻!
映画化 原作漫画
呉市に嫁いだすずは、不器用ながら北條家に溶け込み日々を過ごしてきた。
だが、やがて戦争の匂いがすずの暮らす街を色濃く染めていく。
空襲、原爆、終戦。
戦争が一人の女性の小さな世界を歪ませていく。
ページを捲る手が震える、魂の最終巻!
コメント
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)
こうの史代さんは戦争のマンガが多いなあ。
主人公夫婦がとても素敵で、ああなんかいいなあって思った。
残酷なことをとてもさらっと描いていて、うっかりするとその残酷さに気づかないくらい。
さらっと流さざるをえない現実、それがまたリアルなのかもしれない。
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)
「あのころは良かった」と描かれるのがいいのだろうか?または「あの頃は大変だった、貧しかった」と描かれるのがいいんだろうか。
後者であるとしたら、どんな70年後か想像もつかないが、70年後の人に「あの頃は大変だった」と思われる現在であるほうがいいと思う。
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)
とにもかくにも、人が生き物があちこちで死んで、貧しくて、理不尽で。
「二度と同じ過ちを繰り返さないため」ということを後世の者に伝える。
より生々しくてより衝撃の強いもの。
そうでないとその惨たらしさを、現実にあったもの、一歩間違えればまた現実にしてしまうもの、と真摯に受け止めないだろうと与えられた情報であり教育だ。
志しは間違ってはいない。
しかし、よりリアルであればあるほど、遠いむかしの遠い地でおきた出来事でまさか今現在おきることではないだろう、と錯覚してしまう。
そこで殺されている人たちに思想などなく、殺している人たちに家族などない。
そんなふうにも。
なぜなら、怖すぎるからだ。
逃避である。
でもそれは当然の逃避なのだ。
おきて欲しくはないことだからこそ、御伽噺のように単なる人形のように受けとめてしまうのだ。
「あんな悲惨な事実はおきてはならない」
そう思わせるために、ときに生々しい衝撃があるのも必要だろう。
しかし、違う見方もあるのだと思う。
寒い冬でも家族一緒に漁をして、ふかしたお芋にのどを詰まらせ、おこづかいでキャラメルを買い、つまめるくらいにチビたエンピツでお絵かきを楽しみ、着物をほどいてまた縫い直し、そこらで摘んだ野草を美味しく料理し、家族総出で家を改築し、足の悪いお姑さんを自転車に乗せ集会に出向き、隣組で配給係の当番をし…
現代では苦労ととられることでも、当時の人たちにはいたって日常の出来事で、それが辛くなかったのは、家族の絆がきつく結ばれていたからで。
焼夷弾が降ってきたり、家が焼けてしまったり、友だちが空襲で亡くなってしまったり、片手が爆弾で吹っ飛んでしまっても、明るく生きなくては、そうしなくてはならなかった。
それでも幸せはあった。
悲惨な歴史の傷跡という大きな大きな側面からではなく、個人の小さな小さな幸せと悲しい出来事。
外側からズームアップするのではなく小さい個人からズームバックする。
そうすれば、自分とまったく変わらない、感情のある血のかよった人々の悲しい出来事だったのだと、捉えられるのではないだろうか。
この作品は、まさにそれ。
ほんわかとやわらかいタッチの作風で、一体どれだけの悲惨な状況が語れるのだ?と思ってしまいそうだが、それがギャップとなって、グロさがないのに、胸がぐっと絞めつけられる切なさを抱いてしまう。
もしこの悲惨な環境が今、自分の身におきたら、どれだけ辛いだろうか。
もしこのあたたかな人たちが今、自分の周りにいたなら、どれだけやさしい気持ちになれるだろうか。
そんなふうに読んでもらいたい作品です。
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)
失ったもの、得たもの。
家族、身内、親友、嘗て想った人、右手。
すずの「嫁」という苦しい立場。
周作とリンの関係、義姉との関係…。
『この国から正義が飛び去っていく』
正義とはなんなのか。
『うちも知らんまま死にたかったなあ……』
この言葉はとても重く、一緒に涙してしまった。
鬼イチャンのオチとリンとすずの繋がりもよかった。
思ったよりも救いのあるラストで良かったと安堵しつつも、周作とすずに拾われた少女の未来は暗いものなのかも。
おねえさんの優しさに泣かされた。
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)
こうの史代さんは戦争のマンガが多いなあ。
主人公夫婦がとても素敵で、ああなんかいいなあって思った。
残酷なことをとてもさらっと描いていて、うっかりするとその残酷さに気づかないくらい。
さらっと流さざるをえない現実、それがまたリアルなのかもしれない。