惡の華

常磐(ときわ)と生きていくため、仲村(なかむら)に会いに行くと決めた春日(かすが)。
海沿いの町で穏やかに暮らす仲村と、春日は3年半ぶりの再会を果たす。
夏祭りの日、あの瞬間まで春日は信じていた。
仲村と二人‘クソムシの海’から抜け出すのだと……。
それは、ずっと春日の心を過去に縛り付けていた疑問。
かつて二人で見た夕焼けと同じ空の下、春日はあの時、自分を突き飛ばした理由を仲村に問いかけるが……!

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コメント

  1. user より:

    ?子供?の潔癖さで観る?大人?は嘘つきで偽善者でカッコ悪いのかもしれない。

    でもそれは社会に適応するために必要なスキル、自分とは違う個性を持つ他者との間で無闇に傷付けたり、傷付けられたりしないための鎧です。

    剥き出しのまま、変態のまま、潔く生きたい仲村さんには気持ち悪く、生き辛く感じるのだろうけど…。
    仲村さんは大人になれたのでしょうか?

    マンガの幸せな未来の妄想を裏切るようですが、大人になって社会に出てもしんどいことは多々あります。
    でも幸せを感じる瞬間も時々あるから、なんとかやっていけるのかなと思います。

  2. user より:

    咀嚼しきれないながらも、読み終えた今の感覚をなにか残しておかないと気が済まない。
    そんな作品だった。

    とくに最終話は、様々に解釈可能なものではあるんだけど、私にとっては、勝手にこういうことだと確信を持ってしまうものだった。

    以下はそんな一読者が勝手に感じた確信と思ってください。

    主人公春日の視点から見た仲村は、ずっと、普通の人とは違う、得体の知れない怪物のようだった。

    だからこそそこに何かこの世の真理のようなものすら投影して、自分が思っても言葉に出来なかった(あるいは自分がもやもやと感じているような気がしながらもうまく言語化すら出来なかった)ことを代弁してくれるように感じた。

    だから、それは春日の目にひどく魅力的に映りながらも、理解を超えたものであった。
    その理解しがたさ、手の届かない感覚はずっと春日を苦しめて、それと同時に、惹き付けた。
    それはやはり、彼にとっての物語では最後までそうだったろうと思う。

    もちろんそれは春日の視点を借りたわたしたち読者にとっても同じことだった。

    最終話は、幻想でも56話のような夢でもなくて、そんな仲村の「あのときの」視点なのだと思った。

    だから、あんなにも理解を超えたものだった、春日を含めて誰に対しても心を開いていないように見えた仲村も、他のすべてが同じ空っぽで蠢くものの中にあって、「あのとき」から春日だけは血の通った人間として、眩しく生々しく感じることが出来ていたんだと思った。

    それは最後の最後で仲村と春日の出会いに意味を与える、読者にさしだされた救いの手のようだった。

  3. user より:

     6巻くらいから際立ってきたと思うんだけど、キャラクターの表情が異様に強くなって、直視されると次のコマ行けない的な。
    『みーまー』の大江湯女とかを凌駕する眼力があると思う。

     これは若いうちに読んだ方が結構効くと思うな(中2~3とか)まあ、どうなっても保証は出来んけど!

  4. user より:

    素晴らしかった。
    その一言に尽きる。

    読後感はきっと人それぞれなんだろう。
    それこそが素晴らしい作品の本来の評価なんだと思う。

  5. user より:

    一巻から一気に読んだ。

    7巻くらいまでの中学生編はゲロが出そうなくらい気持ちの悪いものだったけれど、高校編はとても良かった。

    最後あんな終わり方なのに満足できた。

    この人の作品で女の人はとても重要。

    この作品での作者の画力と表現力の向上がすごい。
    常盤さんの表現とか良かった。

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